作詞・作曲 ジョン・レノン&ポール・マッカートニー
リード・ヴォーカル ジョン・レノン&ポール・マッカートニー
ジョンとポールの大作。起伏に富んだオーケストラをバックに壮大なスケールで繰り広げられるこの作品は彼らのひとつの頂点を示す秀作であり、その作風や観念が時代に与えた影響は計り知れない。だがBBCをはじめとするいくつかの放送局ではLSDを連想させる歌詞を持つとして放送禁止処分となった。
今日新聞で見つけた話さ
運よく大成した男の話だ
どちらかといえば悲しいニュースなのに
僕は吹き出してしまった
そこに載ってた写真を見てね
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本作は中期の1967年発表のアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』収録の1曲。同アルバムのコンセプトは、「架空のロックバンドによるライヴ・ショー」であり、「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」は、テーマ曲のリプライズに続く同アルバムの最終収録曲であることから、アンコール曲に位置付けられている。
作詞・作曲は、ジョンとポール。更に、オーケストラ用のスコアを書いたのが、プロデューサーであるジョージ・マーティンといわれている。
ジョンが新聞を読んでいるときにできた曲だと言われており、美しい弾き語りから始まるも、間奏において凄まじい展開を見せ、最もサイケデリックな曲の一つである。歌詞の中に麻薬を連想させる部分("i'd love to turn you on""4,000holes")があるため、BBCでは放送禁止となった。
サウンド面では、ジョン作曲の部分とポール作曲の部分をつなぐ、オーケストレーションが印象的である。これはジョンの「ゼロから始めて、世界の終わりのような音を出したい」という希望を、ジョージ・マーティンが41名のオーケストラを使い、それぞれの楽器の出せるいちばん低い音からいちばん高い音までを段階的に鳴らすということで実現をさせたようだ。
ポールのボーカルパートの直前に目覚まし時計の音が入っているが、これは元々クレッシェンド部分の終わりを示すための目印として入れたものである。
また、エンディングの1拍(Eのメジャー・コード)は、オーケストラとメンバー全員によるピアノをオーバーダビングしたものに、エコーなどによる残響音を加えたものだが、とても効果的な、余韻を残すものになっている。その間、余韻を可能な限り引き伸ばす為に音量を上げ切った為に、椅子などがきしむような音や譜面と思われる紙をめくるような音なども、わずかに聞こえる。
また、アルバムにはクレジットされていないが、LPではこの曲の終了後、しばらく間をおいたレコード盤のいちばん内側の溝に、超高音域のノイズと笑い声や意味不明なおしゃべりを逆回転させた曲 (?) が収録されている(日本盤レコードでは、1回のみで突然終わり、他国盤ではループになってフェイドアウトしたり、CDの多くでは、数回ループになって突然終わるなど、様々な形があるが、基本的な部分は同じ。但し、アメリカ盤レコードではこの仕掛けそのものがカットされたため、後述の『レアリティーズ Vol.2』で補完された。)。ベスト版ではカットされている。このノイズとおしゃべりの部分に本来名前は付けられていないが『レアリティーズ Vol.2』のリリースに際し便宜的に「サージェント・ペッパー・インナー・グルーヴ」というタイトルが付けられた。以来この部分は「サージェント・ペパー・インナー・グルーヴ」と呼ばれるようになっている(日本盤の表記は「サージェント・ペッパー」であるがアルバム・タイトルに基づく「サージェント・ペパー」で呼び慣わされている)。
ジョンはビートルズでのポールとの共同作業の中で、この曲を作っているときが一番楽しかったと語っている。
この曲はカナダのラジオ局CBCで2004年に放送された「50 Tracks」でビートルズの曲としては「イン・マイ・ライフ」に次ぐ12位に選出された。また、ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500で26位に選出された。また、「Q」マガジンの「50 greatest British songs of all time」で1位に選出された。また、2010年に米ローリング・ストーン誌が発表したビートルズの「グレイテスト・ソング100」で1位に選出された。
ジャズ・ギター界の大物ウェス・モンゴメリーが、アルバム『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』でカヴァー。また、ジェフ・ベックが1997年発表のジョージ・マーティンのトリビュート・アルバム『イン・マイ・ライフ』でカヴァーし、近年のツアーでも演奏している。2008年6月1日(アルバム『サージェント・ペパー』の発売日)にはポールがリバプールサウンドコンサートにて初の生演奏を行った。ジョンのソロ作品「平和を我等に」とメドレーで演奏され、客席にはヨーコの姿もあった。
ジョン・レノンはデイリーメール紙を読んでいる間に曲を書き始めた。同紙に掲載された二つの記事が彼の目を引いた。ギネスの遺産を相続したタラ・ブラウン(彼はビートルズと友人関係にあり、1966年12月18日にロンドン、サウス・ケンジントンのラドクリフ・スクエアでロータス・エランを運転中に駐車中のトラック後部に追突した)の死亡記事と、ランカシャー州ブラックバーンの通りに空いた4,000の穴を舗装し直すという記事であった。
しかしながらできあがった曲はブラウンの事故を事実の通り記述してはいなかった。レノンは「僕はその事故をコピーしなかったよ。タラは興奮しなかった。でもそのことは詞を書いている間僕の心の中にあった。曲の中の事故の詳細は、信号や群衆に言及していないように、どちらも架空の出来事だったのさ。」と語った。その後、ポール死亡説の手がかりを見つけようとしたファンたちは、ポールが事故死したという説の根拠としてこの曲の部分を利用した。
ジョンは更にイギリス陸軍がどのようにして「戦争に勝ったか」をこの曲の中で歌った。彼はその正確な意図について説明していないが、それは彼が出演した『僕の戦争 How I Won the War』に関しての言及であると思われる。映画はその年の10月に公開された。
ポールは曲の中間部を創り出した。それは彼が以前に創った短いピアノ曲が元であり、通勤者が何事もない毎朝の出来事から空想にふける様子を描いた歌詞が加えられた。ポールは更にの第一セクションの合唱として「I'd love to turn you on,」の一節を加えた。
ポールは若いときの懐かしい記憶をもとにしてその部分を書いたと説明した。「それは全部別の曲だったけど、偶然ぴったりはまったのさ。それは僕がスクールバスを捕まえるために道を走り、タバコを吸いながらクラスに入っていく・・・僕の学生時代の反映だったんだよ。僕はウッドバイン(イギリスの安価なフィルター無しタバコ)を吸い、誰かが話しかけて、僕は夢の中に入っていったんだよ。」
1992年8月27日にジョンの手書きの歌詞が競売にかけられ、87,000USドルで落札された。
本作のオーケストラ演奏のレコーディングは、本作制作のハイライトであったと言ってよい。このレコーディングには、総勢40名のオーケストラ・メンバーが集められた。また、このレコーディングの模様を撮影するため、オーケストラ・メンバーは正装してくることと、パーティグッズを身につけることを命ぜられた。
このレコーディングでは、通常使用していた4トラック・テープレコーダーではトラック数が足りず、エンジニアの尽力により、2台の4トラック・テープレコーダーを同期させて録音する技術が用いられた。
(▲詳細は画像からどうぞ)
1. Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band(サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド)
2. A Little Help From My Friends (ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ)
3. Lucy In The Sky With Diamonds (ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ)
4. Getting Better (ゲッティング・ベター)
5. Fixing A Hole (フィクシング・ア・ホール)
6. She's Leaving Home (シーズ・リーヴィング・ホーム)
7. Being For The Benefit Of Mr. Kite (ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト)
8. Within You Without You (ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー)
9. When I'm Sixty-Four (ホエン・アイム・シックスティー・フォー)
10. Lovely Rita (ラヴリー・リタ)
11. Good Morning Good Morning (グッド・モーニング・グッド・モーニング)
12. Sgt. Pepper's Lonely Heart's Club Band (reprise) (サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(リプライズ))
13. A Day In The Life (ア・デイ・イン・ザ・ライフ )


